共同生活で自分を知る、自分の良さを認める

自分では何気なくやっていることが他人から感謝されてハッとすることがある。

例えば、コンロ周りの掃除。

自分は油汚れを落として綺麗さっぱりするのが好きだから無意識にやっていることだが、

他の人から「綺麗にしてくれてありがとう」と言われると、

それは誰かのためになっていること、大袈裟に言えば価値を築いていることに気がつく。

これまでえんがわ家でそうした光景を幾度となく見てきた。

美味しい料理を作ってくれること、排水溝の奥まで手を突っ込んで掃除をしてくれること、木に水をあげること。どれも日常生活の一部だが、それが当たり前にあることがとても素敵だ。

生活の中でそうした機会に恵まれることはありがたいことなのかもしれない。

誰しも人から感謝される何かを持っている。

誰しも人にはない魅力的な一面を持っている。

でも、それは自分で気がつくことはできない。

鏡のようにそれを映し出してくれる他者の存在がなければ、それは見えないのだ。

もちろん、その逆もあろう。

見られたくない一面を見せてしまい、辛くなってしまうこともある。

だが、それも含めて、好悪のフィードバックが得られる環境をとても素敵に思う。

自由と引き換えに「孤」という言葉があちらこちらで使われるようになった昨今。

私たちはそうした鏡を持ち得ているのだろうか?

共同生活をしているとそんなことに気付かされる。

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