緊急事態宣言が発表された4・5月、多くの企業や官公庁はその働き方を変えた。
テレワーク。場所や時間に拘束されずとも働くことができることを肌で実感した。
結果的に、その経験が生かされていない職場も少なくない。
だが、確かに言えることは、
私たちのリアルな付き合いの多くは必要不可欠なものではないという気づきである。
数多くの時間をかけていた会議や飲み会での飲みニケーション。
これらは不要とまでは言い切れないものの、それが無くても仕事は捗り、社会は回ることが証明されたのではなかろうか。
一方、逆説的だが、人と人との繋がりが必要だと痛感する機会も増えた。
毎年のように開催されていたイベントは軒並み中止となり、個人単位での集まりも激減したに違いない。
そういう環境の中で、悶々とした想いをどこへぶつけたら良いのやらとストレスを抱えた人も多いだろう。
事実、それは自殺者や家庭内暴力の増加などの歪みとなって現れている。
もちろん、繋がりが切断されたことに全て起因するものではないが、それも1つの要因であろう。
では、なぜ私たちにとって対人接触は必要なのだろうか?
それは、自分の居場所を見つけるためだと考えている。
居場所とは1人1人異なる。
それは家族、友人、学校、会社など多様に存在しうる。
そして、その居場所を見つけるべく、様々な人と関わり、自分の肌感覚を知る。
これが対人接触の価値ではないだろうか。
そういう意味で、今回不要だと考えられたものは、往々にして、「強いられた集い」であり、各々にとって居場所と呼ばれうものではなかったと考えている。
だが、みんながみんな居場所を自分で見つけられるわけではない。
居場所探しが偶然にならないよう、自分たちの在り方を外に開いていくことが、
私たち居場所づくりに携わる者の使命だ。
えんがわ家はそういう居場所として、様々な方の手によって少しずつ育まれてきた。
住み開くということの難しさと向き合いつつ、どうすれば開かれた居場所を築くことができるのか、
一歩ずつ前に進んでいきたい。