人とつながる豊かさ、難しさ

えんがわ家ができてまる1年。

地域コミュニティ、住み開き、多世代、どれもホットワードだが、それを実現する日々はとても泥臭いものだ。

片付け、庭掃除に始まり、シェアメイトの日常や近隣住民を慮りながらの住み開き。

その暮らしを整えるのにまる1年かかったと言っても過言ではない。

そんな苦労はあっても、人と人がつながることで得られる豊かさはかけがえのないものだ。

よく一昔前は、醤油が足りなくなったらご近所さんに少し譲ってもらったという話を耳にする。

「醤油のやり取り」はかつての地域コミュニティを象徴する表現かもしれない。

えんがわ家ではその光景は日常茶飯事だが、その裏にはシェアメイト同士の信頼関係が存在している。

「昨日草取りをしてくれたね、ありがとう。」

「お風呂のつまりを直してくれたね、ありがとう。」

「野菜をシェアしてくれてありがとう。」

いわゆる「醤油のやり取り」、そのやり取りの裏にはたくさんの「ありがとう」が存在しているのだ。

ここで暮らすシェアメイトからこんなことを教わった。

それは誰かと繋がるには自分のスキルを差し出すことが大切だということ。

えんがわ家はこの地域のために何をしてくれるの?

誤解を恐れずに言えば、手ぶらで何かを求められることも少なくない。

それは期待感があるがゆえのものであり、感謝すべきことでもある。

だが、一方的に何かをし続けるという関係は持続可能なものとは言い難い。

最近はそんな場面に出会すとき、こんな言葉を使うことが増えた。

何かえんがわ家のためにお力添えいただけることはありませんか?

無論、私たちもその方々のために何ができるのか考えなければならない。

だが、このお互いを慮る関係こそが持続可能なつながりなのではないか。

地域のつながりが薄れるにつれて、「誰かがやってくれる」という消費者意識の高まりを感じる場面も少なくない。

これからは1人1人の当事者意識こそが地域における様々な課題の突破口となりうるであろう。

そんな壮大な絵を描きながら、また次の1年も泥臭い日常を少しずつ作り上げていきたい。

この記事を書いた人

えんがわ家スタッフ