えんがわ家は「住み開き」という形でシェアメイト以外の方に1階の共用部をお貸ししている。
ありがたいことに、おやこひろば「えふえふ」さんをはじめとした方々に丁寧にご利用いただいているおかげで、
連日様々な方が出入りし、地域の暮らしに彩りを添えている。
だが、ここで忘れてはならないことがある。
それは、あくまでえんがわ家とは住居地域に存在する「家」であることだ。
つまり、使い方を誤れば、シェアメイトや地域の方々へに負担を強いることになる。
実際、過去にあったことだが、
使った食器などがそのまま残っており、シェアメイトが片付けたり、
畑の土砂が流失し、近隣の方に掃き掃除をさせてしまったり、
ここが「家」であることを忘れてしまった瞬間があった。
ここまで書くと単なるレンタルスペースであったほうが良かったと捉えられるかもしれない。
だが、この使い勝手の悪い仕組みがある1つの精神を育んでいるように思える。
それは、慮るということである。
例えば、「えふえふ」の運営のみなさんは、使った後、欠かさずきれいに掃除機をかけてくださる。
先日中止になったBBQでは、実施前に「準備手伝おうか?」とご連絡をくださった方々がいる。
こういう慮りがあるからこそ、気持ちよく「住み開き」することができている。
ここでは自分がやりたいことをやるために、「慮る」というステップが必要だ。
それは、つながりが失われつつある昨今では、学ぶことが難しいかもしれない。
そういう意味で、この場は非常に貴重な機会を生み出しているように感じる。
使い勝手の悪いこの仕組みがどのようなつながりを生むのか、この先も見守っていきたい。